おいおいマジか?~地元の信じられない変化~

今日は、地元の信じられない変化について書いていきたいと思います。


地元の大きな変化は以下の3つくらいですかね
・小学校の給食がお代わり不可に!
・町民プールが埋め立てられ役場の新しい建物に!



まず1つ目。これはもう3,4年前の話になってしまうんですけど、小学校の給食におけるお代わりシステムが廃止された、と。

お代わりシステムとはどういうものかというと、

食べ始める前に、自分の給食のいらない分を配膳台に返すことができます。戻されたものを欲しい人がまた分配します。

というものです。

これにより、残飯は減りますし無理に食べたりすることもなくなるのでみんながハッピーになれます。

ただ、これについて不満に思っていた人間もいます。それは、少食な子供を持つ親です。

同じ給食費(これ自体もかなり安いものですが)を払っているのに人によって食べる量が違うのはおかしい。

こんなクレームに押されて、校長は制度を変えてしまったわけですね。


この背景には、まぁ落合陽一さん(最近結構ファンなんです笑)風にいうなら「個」の概念が強くなってきたことにあるんじゃないかなと思うわけです。あとは、田舎なのでただ単に学のない親がいるということでしょうか。

給食は、一食200円程度で暖かい作りたてのご飯が毎日違う栄養的にも良いメニューで食べられるわけです。

私は、給食はサービスだと持っていて、午後からも勉強を頑張るエネルギーをもらう場だと考えています。
つまりは、払っているお金は、〇〇カロリーをいくらで買っている。ということではなく
空腹感なく午後も活動できる状態を買っていると考えます。
その環境を、過程によらず平等に与えることが給食の意義なのです。

なので、少食の子が食べられない分を体の大きな子が食べたとしても、食べた質量は変われど両者の満足度は同じな訳です。

満足感に対してお金を払う。これがサービスを買うということです。クレーマーの親はそこについて勘違いをしているんじゃないかな。

先ほどいった個の意識というのは、自分が損しているということに関してではなく、他人が得をしていることに関して不寛容であるということです。
この例では、自分が残した給食を残飯にしようが誰かが食べようが残した人にとっては関係がないわけです。
しかし、それを他人が食べて幸せになるのが許せないのです。なぜなら、自分以外は競争相手、敵だという意識があるからです。

僕も昔はそう考えていましたが、アドラー先生がそれは違うよと教えてくれました。








次に、町民プールがなくなってしまったことについて。

これは個人的にはとても悲しかったですね。幼少期からずっと使っていたので。
考えられる理由としては、少子化スマホの普及 にあるんじゃないかと思います。

僕が子供だった頃は、ケータイこそあれオンラインゲームは大したものがなく基本的にみんなで集まってました。
PSPとかDSとか遊戯王とかインドアゲームももちろんやってましたが、オフラインなんで基本的に家からは出てたんですよね。

でもスマホが普及したことで、集まらなくても簡単にコミュニケーションが取れるしゲームも一緒にできるしで外に出る子供は減ったんじゃないかなと思います。

つまりは、娯楽としての競合が増えたということですね。

加えて子供の数自体も減っているので、プールに来る人が少なくなってしまいそうだなとは容易に想像できるわけです。

まぁこれは、時代の変化ですよね。

でも、やっぱ子供のうちは、いろんな自然に触れる機会は必要だなと思ってます。
川遊びが楽しいとか、野原で寝っ転がると気持ちいいとか、海の音で落ち着くとか、山の上から見た景色が綺麗とか、
自然の鮮やかさ、壮大さってやっぱスマホのカメラではまだ捉えきれないなと思う部分もありますし

自然を五感で感じて欲しいですね。ロボットと違うのって、逆に人間の動物的部分だと思うので大事にしたほうがいいと思います。


僕も、暑いから川にでも行こうかな!


ではまた明日!